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幸福に思う<母と過ごした105日>

昨年、春・夏・秋と3回、足掛け105日間、母と過ごしました
大学卒業以来、長期で帰省することもなく、せいぜい長くても一週間弱、ですから30年以来の長期帰省だったわけです

親孝行は親が「生きてるうち」でなく、「元気なうち」といわれます
とは言っても、この105日間、とりたて親孝行したわけではないのです

三度三度のご飯を一緒に食べ、たまに近くの観光地に出かけるだけ、
日常生活の延長、それだけだったような気がします
それでも、姉と三人で家族水入らずで出掛けたときの、何とも表現しがたい母の幸せそうな「ほほ笑み」は今でも目に浮かびます

母は齢80歳、終戦を幼少期に迎え、激動の昭和を悲喜こもごもの中で過ごしてきた、そんな母の本当の幸せは「ふつう」であること、それが一番大切なものなのかもしれません、

そして、振り返ってみれば
私にとっても、母と過ごした105日の穏やかでたわいない日常が幸せのときだったのかもしれませんね

先日観た映画「この世界の片隅に」・・・・・・・
その殆どの場面が「ふつう」の日常の暮らし、その穏やかな暮らしの中に突然舞い込んだ戦争という非日常の恐怖が、「ふつう」の幸せの大切さを実感させてくれるのでしょうか。




久住の母
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マネジメントにおもう

マネジメント   よく聞いた言葉です
ご多分に漏れず、私もマネジメントに関する研修を受けたり、企画したり
そして、指南書らしきものを何冊も持ってました(数か月前、すべて処分しましたけどね)


このマネジメントという言葉
時として、滑稽な場面を目にします
研修の後や小難しい指南書読んだ後、
多くの人がマニュアルどおりに行動し、しばらくの間だけ立派な管理職になるのですね

そんな、一筋縄ではいかぬことなのに

生身の人間 言い換えれば感情のある生き物を相手にするのですから
さらに面倒なことに、
ヒトは組織の中では皆、演技をしてます
喜怒哀楽を抑え、百人百様それぞれの形で精一杯演じている
必死で自分自身を守っている
そんな、したたかな生き物です ヒトっていうのは

だから、指南書どおりのマネジメントがなされている組織っていうのは、
ロボットの集合体のような無機質な世界になってしまうかもしれません
それはそれで、組織としては好都合でしょうけど
何か寂しいですね

そう簡単ではないけど
でも、裏を返せば簡単なことかもしれません
ただ単に基本に戻れば良いのでは


さだまさしさんの「バースディ」
私の好きな詩です
誕生祝いを受け取ったヒトからの心こもったお礼の詩
「ありがとう」の言葉がすみずみに散りばめられてます

  幸せを ありがとう
  宝物を ありがとう
  忘れずにいてくれて ありがとう
  やさしい手紙を ありがとう
  気にかけてくれて ありがとう
  心からどうも ありがとう


ヒトというものは 
さりげなく、自分のことを気にかけてくれている
自分のために大切な時間を費やしてくれている
それがわかったとき、最上の歓びを感じるのではないでしょうか

甘い叙情詩風味と感じる方もいらっしゃるでしょうが
難しいことは考えずに、基本に戻ること
ヒトとヒトとのことですから

お互いが少しづつ肩の力を抜けば
お互いが少しづつ楽しく過ごせるような気がします
お互いが少しづつ幸せになれば
それが一番良い!

朝の北浦和公園
ジョギング途中に立ち寄る朝の北浦和公園
若者のサックスの響きを枕にうとうとと無心に・・・・
  

母とベレー帽

私が小学校にあがる前ですから、約半世紀前の朧げな想い出です
ある日、母がベレー帽を買ってきました、私のために
当時、ベレー帽は高級品だったような記憶があります、お金持ちの御坊ちゃまが被る帽子というところでしょうか
父が失業してたりで、貧乏な一家なのに無理して私のために買ってきたのでしょう

でも、私はベレー帽が嫌いでした、なぜかはわからないけど身体が(頭が)受けつかなかったのです
出掛ける度にベレー帽を強要する母と幼く拙い知恵で拒否し続ける私との闘いはしばらく続きました

ある日のこと、強行手段に
帽子の真中にある尻尾を切断したのです 
「ベレー帽は嫌だ」という私なりの小さな抵抗だったのです
でも、母も負けませんでした
翌日には尻尾が再生してました。(毛糸か何かで繕ったのでしょうか)

この尻尾切断事件以来、しばらくは母に服従してましたが、
やはり、嫌なものは嫌
そして、二度目の強行手段に
自宅裏の畑に捨てました

母の「ベレー帽はどげんしたと?(どうしたの?)」との問いに
「うすてた(捨てた)」と
私の短い言葉がすべてを終わらせました

そして、数日後、
泥だらけになったベレー帽を大事そうに洗っている母の姿を目撃した時を最後に、私の前にそのベレー帽が現れることはなくなりました

いつかは母に謝らなくてはと
幼心の中に小さな十字架を背負ってましたが

大人になって、その気持ちは飛んでしまいました

母の近しい人からきいた、母の淡い初恋のお話
母が十代のうら若き乙女だったころの憧れの君はいつもベレー帽をかぶっていたと

そう、母は幼い健気な息子を自分の青春の思い出の着せ替え人形にしてたのです

来週から母に会いに帰ります
今度はベレー帽でもかぶって帰りましょうかね!

紫陽花4

紫陽花の季節です

ありがとう大五郎<母から子へ語りつなぐ一冊>

本とは素晴らしいものです
何度読み返しても心ふるえる、そんな本に出会ったとき
自らの人生をも豊かなものにしてくれます

母から子へ語りつなぐ一冊
たくさんありますが、私の渾身の一冊は
「ありがとう 大五郎(新潮文庫〜大谷英之/淳子)」
ありがとう大五郎
この本に出会ったのは、40歳目前、心身ともに疲れ果てていた頃
訳の分からないものに苛まされ、悩んでた頃の新鮮な出会いでした
それから15年、いまでも、時折手にする愛蔵書です

カメラマンである父(大谷英之氏)が手足のない小猿「大五郎」をペットとしてではなく家族の一員として連れ帰ってから
その短い生涯を閉じるまでの2年4カ月を3人の娘さんの成長とともに、母(淳子氏)が淡々と綴ってます
そして、何とも可愛い温かい写真が心に焼き付く、そんな素晴らしい本です

大五郎は2年4カ月を力の限り生き、
愛する家族に何にも替え難い「大切なもの」を残してくれたのではないでしょうか
ありきたりの能書き垂れるハウツー本なんか到底敵わない崇高なものを残してくれたような
そんな気がします

ところで、話は変わりますが
私は時折、上野動物園へ出かけます
愛すべき友に会うために
望遠レンズで彼ら(彼女ら)を見つめていると面白いものです
行動も表情も
ヒトと同じですね、全てが
時間が経つにつれ、だんだんと垣根が取り外されていき
安心できます

上野公園の友


ヒトだって同じ動物
ちょっとだけ進化してるだけ
思いあがって生きたらいけませんね

あん

映画「あん」を観てきました
まるで、水彩画・・それがこの映画の感想です

サクラの咲くころ物語が始まり、サクラの咲くころ終わります
四季がめぐるように
美しい艶のある小豆が、何とも美味しそうな美しい「あん」に生まれ変わり
周りの人たちを笑顔にしてくれる

名女優樹木希林さんとお孫さん内田伽羅さんが奏でるゆったりとした時間の流れが
美しい水彩画に色を添えます

哀しくて悲しい物語を
心が洗われるような水彩画で
河瀬監督の感性に脱帽です

この悲しきこと、やはり忘れてはいけませんね
人の中にある「偏見と差別」の心が多くの人を苦しめ、その一度きりの人生さえ奪ってきたことを
いえ、奪っていることを
過去形でなく現在進行形です

それでも
誰かが悪いということではないのです  誰も悪い人はいない

ヒトは一人ひとり、みんな「優しい」のです
でも、悲しきことに
その「優しさ」が折り重なって大きな「優しさ」になる前に
大切なところで、ちょっとだけ、道を間違えてしまうのでしょう
道を間違っていることがわかっているけど、後戻りする勇気がない
不思議な生き物ですね  人間って

映画「あん」
何人のヒトが観るのでしょうか
この映画を観て、涙した「優しさ」が折り重なって
今度こそ、本当の大きな「優しさ」になって欲しいものです

過去の過ちを悔いても元には戻れません
だからこそ、この世の中の隅々で、二度とこのような過ちが繰り返されぬよう
心から願う限りです

もちろん、自分自身も
二度と過ちを繰り返さぬように戒めることが大切です
そのためにも、人として智慧を磨かなければなりませんね

初夏の彩湖1
もうすぐ 夏です







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